善悪の話
たぶんこの嘆かわしい現代ではほとんどの人に通じないと思うし、うまく説得できてる文にもなっていないと思うんだけど、わらしはこの人の感覚がよくわかる。
http://anond.hatelabo.jp/20080703185125
多分嵐のような反論に胃が痛くなってしまっただろうと思うけど、よく言ったねぇ。感覚は伝わった。
世の中には「よい行為」、「普通の行為」、「よくないが禁止されていない行為」、「禁止されている行為」の段階があって、「よくないが禁止されていない行為」に対する人としての感性の問題に含まれる。
何がよくて何が悪いかは厳密には決められないけど、「利己的な行為」つまり「自分は得をするがその分他の人には損になる行為」で法律に反しないものは「よくないが禁止されていない行為」に含まれる。
わらしは、「よくないが禁止されていない行為」はできるだけ避けるのが人間としての生き方で、少しでも善良で粋で優しい人間に近づくべきだと考えている。
もちろん人間は欲望の塊でもあるので、「よくないが禁止されていない行為」を0にすることは1日たりともできないのだけれど、実行してしまった時はそれを意識して、少しでも減らしていこうとするのが人間全体の進化を目指すということではないのかと。
客としてでも業務としてでも「相手の立場を考えない要求」はまさにこの「よくないが禁止されていない行為」に含まれるため、減らしたほうがいい。仕事をするときに、お互いに得になる方法を探る前に自分の得になるだけの主張をするタイプの人には本当に困る。
そのような減らすべき「よくないが禁止されていない行為」を罪悪感をもってこっそり実行するのは人間の弱さであって仕方のないことだけれど、おおっぴらに推奨してあげく自慢するなどというのは人類の退化を推奨していることと同等に感じる。
- 食べ物を残す
- クレーマー
- まだ使えるものを捨てる
- ギャンブル
- 道路を作る
- 店員や駅員に怒りをぶつけたり手間を取らせる
- 給料が安い
- ただ税金を下げろという主張
- デイトレーダー
- 冷房
- NHKに払わない
- 転売
- 節税
- 創作的でないニコニコ動画
- エロ同人誌
これらは全て同様に悪に感じるし、自分が犯した場合は強い罪悪感を感じる。
日本では捕まったりはしない。
こういう考え方は1つの宗教であるわけで、直接的に正当性を証明することはできない。
既存の宗教はどれも信じず無宗教と言いたい自分だけど、実は相当に宗教的な主張だ。
信教の自由で日本にあっては許されたい。
そういう「利己的な行為」をお得な方法としてて世間に吹聴する人がこのネット時代にやたら目につくようになり、それは自分の宗教に対して敵対する異教徒に囲まれているように感じる大変苦しい昨今である、ということが言いたかっただけ。