2008年開始

明けました〜みなさま今年も何かとよろしゅうに。
今年の目標は…達成できそうな目標は宣言効果があるから言っておくことも大事だと思うんだけど、わらしは言ってできないと地の底まで落ち込んで這い上がれないのでどうしても言えないし、逆に達成できなさそうな「今年は歳をとらない」とか「何かの世界一になる」とか「結婚する」とかいう目標を掲げてもむなしいしなー(^^;。
2007年はかなり健康に暮らせて快適だったので、今年も体調に気をつけるということにしましょかのぅ。(コミケ期間を除く)


人間は何を究極の目標に生きるべきかというと、「地球人の幸福度の総量を増やす」、「子供を作る」、「未来の地球人の全てに知られるようになる」、「死ぬ瞬間に満足納得して死ぬ」なんだと思うんだけど、どれもなかなか難しく、そちらの方向を向いてちょっとでも進むだけでも大変;_;。
最初のは科学や娯楽を発展させるということで仕事や遊びが楽しい理由、2つ目と3つ目は自分が死んだ後もゲームオーバーではなくてコンティニューして(スコアは0に戻るけど)目標に近づく可能性を残すための保険という感じかのぅ。
その3つが達成されれば4つ目の可能性が出てくると。
ショートカットして宗教的アプローチをすれば簡単だったり無意味だとして一瞬で解決してしまうことばかりだけど、自然科学を先に信じてしまったわらしには無理。
三大宗教の中では、一番自然科学と矛盾しない仏教(葬式仏教でない檀家とかないやつ)が一番説得力があるようには感じるので、そういう意味ではやっぱり仏教の価値観にいつのまにか取り込まれてるわけではあるけども。
最近仏教にちょっと興味があるなーと思うんだけど、お参りとか寺とか写経とか一切興味なくてそんなんでなくて、仏教の体系を知識として得るにはまず何をすればいいんだ?
信じるかどうかはまず知識を得てからそれを元にこっちが判断して決めること。
ほとんどの寺の住職ごときでは自分より頭が悪いので正しいダイジェストにも解説にもなってるように思えないし、説得力を全然感じない。
この情報化社会なんで、昔に田舎村では実際に一番頭がよかった住職が布教してたころの地域別な体制でなくて、現代は本当にできる人が直接解説するシステムにならないといかんよ…一般市民だってみんな知識増えてるんだし。


あと何年か前にもう1つ、ウィトゲンシュタイン論理哲学論考とかいう自分でも信じられそうなものを発見して発見した時には興奮したんだけど、結局読んでも気がつくと眠ってしまっててよく理解できていないうちにどっかいったんでまた買うかな…せっかくだったらドイツ語で読むとよいのかもしれん…これは無茶な目標か(^^;。
学生時代に読んでおくべきだった…専門の計算科学は論理哲学と遠そうで実は非常に近いジャンルだし。
あ〜新年早々盛大に話がそれた。