言葉と知覚と絵が描けないと作監と声優の話

言葉と知覚というこのエントリーがなかなかに興味深かった。
話は少し違うんだけど昔から、絵がスラスラと描ける人と、そうでない自分の違いが何かというのが気になってたのを整理するのに大きなヒントになった。


絵のうまい人は努力してるんだという話は必ず出るけど、技巧の上達とは別に、「すらすら描ける」「綺麗な絵柄」であるかどうかは資質のほうが大きいとしか思えない。
中学生の同人作家でもすごいかわぅぃ絵を描く人いるし、プロでも何十冊もコミックス出しててもどうしても汚い人もいる。
で、自分がとどーやってものたうちまわっても何回線をひいては消してを繰り返してもどれが正解の線かわからず、自分で思ったように見えてほしいものに描けなくて、消しゴムで原稿用紙がすりきりれるまでいろんな線をひいては消してを繰り返してみても自分で見えてほしいように(要するに自分でかわぅぃと思える娘の絵に)どうしてもならないんだけど、それをどうしていいかどうやったらいいのかわからない。
目の前に全く同じ向きの見本がない限り想像ではデッサンが全くできなくて、少しでも角度の違う絵は描けないし、想像だけでは幼稚園児の真正面絵が限界になってしまう。


なんとか線画まで来たとして、色、とくに影のつけかたも全然わからない。
光源を考えて、形状を考えて、素材の反射率を考えて、理論的にこの辺りが影になってこんな色に反射するか?といちいち考えていく必要があって、アニメ絵にはそれだけのディテールがないし、世の中のモノは自由で難しい形をしていて自分の計算能力を超えるのでどう影がつくかもやっぱりさっぱりわからない。
(3DCGはこの自分で考えた計算式をシェーダとして入力すると完璧に再現してくれるのがいい!)
色もわからない。
ここは赤、ここは青と、やっぱり塗り絵のように塗り分けるのが精一杯。
赤いところは赤でしょ?
だけど、絵の描ける人はさらさらと影の線がどう出るかわかってるかのように影をつけたり、微妙な陰影を判断して中間色を置いていくことができるらしい。


という現状認識で、自分のような絵の描けないタイプの人間は絵の描ける人間と何がどう違うのかというのが気にかかってたんだけど、自分の中では一応結論を出してた。
それは、「人間は視覚を言語(的なもの)で不可逆圧縮してから認識と記憶をしている。その圧縮率が高いのが絵の描けない人間。」というもの。
「自分は世界が全て文字に見えている。」と言うこともある。
それが何かであるかを識別する程度の最低限必要な情報は残っているものの、圧縮率が高いので、その分再生した時に劣化して、元のイメージの絵には戻らない。
見たものをそのまま覚えていない度が高い。
高圧縮率なので、その代わりに言語的な概念を入力するスピードと量は大きく、言語能力は高いし、普通の人より看板の内容を認識したり、世界を知識として取り入れる速さと容量が大きくて、その面はいろいろ得してるようにも思える。


アニメの作監の絵柄や声優の声も、うまく言語化できたときは認識精度が非常に高く、誰の絵か誰の声か一瞬で分かるんだけど、なぜかどーしてもいくら触れてもうまく判別できない人がいるのも、この言語(的なもの)にうまく落ちるかどうかで説明できる気がする。強い方向オンチで情景と方向感覚では移動できず、地図とにらめっこして「言語情報的なもの」でしか目的地にしかたどり着けないのも説明しやすい。


どうだろうか。